《イベントレポート》[第3回] ダンス問い掛け連続トークセッション 身体をアジャストする

東京都教育委員会・東京スポーツ文化館の令和3年度チャレンジ・アシスト・プログラム(活動助成事業)に、この度、私たち〈ダンス井戸端会議〉のプロジェクト「ダンス問い掛け連続トークセッション」が採択されました。
2021年12月29日(水)、その第3回目として「身体をアジャストする」をテーマにオンライントークセッションを行いました。
ゲストはオーボエ奏者の荒川文吉さんと、作曲家の髙位妃楊子さん。音楽をする身体について、様々なお話を伺いました。
(イベント予告ページはこちら

テキスト:白井愛咲


前半のトークには、井戸端メンバーとして秋山・安藤・白井が参加。
まず最初にゲストのお二人から自己紹介と、事前にお送りした5つの質問に答えていただきました。

目次

荒川さんの自己紹介+質問への答え

荒川: オーボエ奏者の荒川文吉(あらかわ ぶんきち)といいます。普段は東京フィルハーモニー交響楽団というオーケストラで活動をしています。今日は、音楽家が自分の身体とどう向き合っているか、どんなことを意識して演奏しているかを話せたらいいなと思っています。

まずは、音楽家が普段どんな生活をしているのかをご紹介します。

メインの仕事は、オーケストラのリハーサルと本番です。
それから、そのオーケストラの公演に関する楽譜の勉強や準備。これが意外と時間がかかります。リハーサルと本番だけで仕事をしているように思われがちなんですけど、それ以外にも自分の時間を使って楽譜の勉強をしたり、オーボエの場合はリード(後述)を作ったり、楽器の調整に行ったり、そういった準備をした上でリハーサルや本番に臨んでいます。
あとは、生徒さんのレッスンや、テレビや映画のレコーディング(音録り)、アマチュアのオーケストラの指導。
音楽雑誌に文章を寄稿することもあります。また、オーボエのアンサンブルグループでYouTubeをやっています。

荒川さんのアンサンブルグループのYouTube

①身体が良い状態の時はどんな感じですか?

演奏家はレッスン等でよく「脱力をしろ」と言われます。かといって、全て脱力してしまうと支えが無くなってしまって、良い音が出ません。なので、身体の芯に支えが作られていて、他が脱力できている状態が「身体が良い状態」なのかなと思っています。

その脱力した状態を作るというのが難しいですよね。無意識に力が入っている所が結構たくさんあるので、それをちゃんと意識して「あ、ここにも余計な力が入っているんだ」というのをまず自覚していく。そういう作業が大事かなと思います。

②身体が邪魔に感じる時はどんな時ですか?

これは①と反対で、余計な力が入ってしまう時ですね。
本番ってやっぱり練習と違って、人に見られているのもあって、すごく緊張するんです。レコーディングも、自分1人の時はまだマシですが共演者と一緒に録っている場合は、例えば自分が1回ミスしてしまったことによって、全部やり直しになったりするわけです。そういうネガティブなことを考えてしまうと、どんどん身体が固まってきて「普通に吹いていればこんなミスしないのにな」という所でミスをしてしまうことがあります。なので、緊張などによって変な力が入ってくると身体が邪魔に感じるというか、余計な力が入っているなと感じます。

③どんな身体に憧れますか?

例えばすごくスリムな身体というのは、演奏家としては実はあんまり良くないんです。適度に筋肉がついていて、脂肪もある程度はあった方が、音色(おんしょく)が作りやすいと思っています。歌手の方を見ていただけるとイメージしやすいと思うんですけど、やっぱり歌手は身体そのものが楽器になっているので、ある程度は響かせられるような形になっている方が強いんです。管楽器の場合はそこまで必要では無いのかもしれないけど、演奏に必要な筋肉がちゃんとあることと、長時間演奏しても疲れないような体力がついている状態が良いのかなと思っています。

④楽器とのアジャストのさせ方のルーティンなどはありますか?

僕が吹いているオーボエという楽器は、先端にリードというものが付いていまして、そのリードが振動することによって、振動が楽器に伝わって音になっています。例えばリコーダーやフルートのように息を吹きこめばそれが音になるのでは無く、間に1つ媒介している物がある。自分の身体が音色に直結しているわけではないので、リードとの相性や関係もあるんです。
リードは植物の葦で出来ているので、気候の影響を受けやすいです。気圧が低いだとか、湿度が低いだとか、そういうことで毎日ちょっとずつ変化をしている物なので、最初に音を出した時に「今日はどんな状態かな」とかチェックするようにしています。

⑤本番へのアジャストのさせ方でルールや方程式はありますか?

本番というのは、緊張するものなんですよね。「緊張しないようにするにはどうしたらいいですか」と聞かれることもありますが、それは無理なんです。絶対に緊張はするので、まずその緊張をした状態で自分の身体がどうなるか、どう反応するのか というのを知る。または、緊張した状態に普段から自分を晒す、そういう状況に置いてみるのが大事かなと思っています。

例えば iPhone等を使って、自分の練習を「これが1回きりの本番だ」と思って録音してみる。そうやって少し緊張する状態を作って、そういう時に自分の思考がどう逸れてしまうのか、どういう所でミスをしやすいかを学ぶ。それを繰り返すことによって、本番で緊張した状態になっても「こういう時に自分はこうなりやすいから気をつけよう」という経験則が出てきたりします。

髙位さんの自己紹介+質問への答え

髙位: 髙位妃楊子(たかい ひよこ)と申します。作曲家をしておりまして、楽器はピアノをメインでやっています。今は映画やドラマの音楽を作っていて、それらは自宅のスタジオでパソコンで作ることが多いです。以前はライブに出てピアノを弾いたり、歌の伴奏をしたり、バンドの中で演奏したりもしていました。

3歳からピアノを習い、6歳から作曲を始めました。高校ではオーケストラの部活に入り、パーカッションをやったことで身体の使い方を学ぶ場面がたくさんありました。その後、藝大(東京藝術大学)の作曲科に入学し、それと同時に東京大学ジャズダンスサークルFreeDというダンスサークルに入りました。そこでのダンスの経験を活かして、バレエやダンスの曲を作ったりもしています。卒業後はシンガーの佐藤玖美さんとオリジナル曲のPVを作り、振り付けと出演をしたこともありました。また、南青山ル・アンジェ教会でゴスペルと出会い、ゴスペルスクールにピアノ講師として通っています。

髙位さんが編曲・ピアノ、振り付け・構成・出演を務めたMV

身体を壊して休養した時に、人前で演奏をする時の自分の身体と、作曲や創作活動をして内なる自分と向き合う身体との間に、結構ギャップがあるということに気づいたんです。身体の状態が違うせいで切り替えに時間がかかるので、両方やっているとどちらにも集中できなくて。それで2020年からは人前での演奏の仕事はすべて辞め、作曲の仕事に集中することにして、今に至ります。

①身体が良い状態のときはどんな感じですか?

これは自分の中に2つのモードがあって、演奏の時は「戦闘モード」、創作の時は「副交感神経モード」と呼んでいます。演奏の時は、とにかく外に意識を向けています。ピアノを弾きながら歌を聞いたり、バンドだったら他の楽器の音が常に耳に入るように意識しているので、耳をすごく活発にしているのと、人に見られても良いような身体の状態にしておく。これは、かなりテンションが上がっている状態です。

「副交感神経モード」、これは作曲をする時の、一人になる時のモードです。戦闘モードとは真逆で副交感神経が活発になっている、つまり眠い状態。アルファ波が出ているような、ぼーっとしている状態が私の中では良いと思っています。あまり外の音が聞こえないような状態です。

②身体が邪魔に感じる時はどんな時ですか?

荷物が重い時です。楽器を現場まで運ばなきゃいけないので、音楽奏者さんは荷物が重いことが結構あると思います。私もたまに自分の身体ぐらい大きいキーボードを自分で持っていかなきゃいけないことがあったんですけど、そこで疲れたら何もできなくなります。演奏や創作と関係のない所で疲れてしまうと、すごくストレスになるんです。そういう時に「もう身体いらない」って思ってしまいます。

③どんな身体に憧れますか?

頭痛のない、胃液のしみない身体です。頭痛は持病という感じですごく悩まされていて、作曲する時に考えすぎて、頭がパンクすることがあります。

④楽器とのアジャストのさせ方のルーティンなどはありますか?

ありません。その場のピアノと仲良くなる。ピアニストは楽器を持ち運べないことが多いんです。生のグランドピアノだとなおさら、その場にある楽器を弾かなきゃいけない。タッチや空間の広がりがピアノによって全然違うので、いつもの感じで弾いていたら音がよく鳴らない、ということがあるんです。なので、どういう音が鳴る楽器なのかを事前に確認します。

⑤本番へのアジャストのさせ方でルールや方程式はありますか?

イヤリングを付ける。それが、人前に出るモードのトリガーみたいになっています。帰ってオフモードになったり作曲をする時には、いらないものを全部外して挑んでいます。演奏モードと創作モードで、気持ちの落ち着かせ方がそれぞれ違っています。

何がフィードバックになるのか

秋山: ありがとうございました。お二人にお聞きしてみたいのですが、本番や練習でのフィードバックの対象となるのは、一番はやっぱり音色なんでしょうか。ダンスだと、私の場合は第三者の目線というか、客席から見た自分の身体のフォルムがどうなっているかを意識していますが、音楽家のお二人は吹いている/弾いている時に一番何を意識していますか?

荒川: フィードバックに関しては、オーケストラの時とソロの時とで違う気がします。
ホールで演奏する時は、舞台上での感覚と、客席にどう聞こえているか、というのは結構違うんですよね。タイミング的なものもそうだし、あとは音量のバランスも。
例えばオーケストラではオーボエの隣にフルートがいるんですけど、フルートって楽器の筒が右に向いていて、そこから音が出るのをオーボエは左側で聞いているので、右で聞く場合とは聞こえ方がちょっと違うんです。そこで自分の感覚で手元で合わせてしまうと、自分の音量だけが小さく/大きくなっちゃったりするんですよね。
なので、信頼できる人に客席から聞いてもらってフィードバックしてもらったり、自分で録音をして聞いてみたり、あるいは人が吹いているのを少し離れた所から聞いてみて「舞台上ではこういう感じがしていたけど、実際はこういう風に聞こえているんだな」とか、そういうことをチェックするようにしています。

秋山: それって調整の仕方としては、一回信頼できる人に聞いてもらって、その時の息の量や身体の動きを覚える、みたいなことですか? それとも耳で「これくらいの音だったら客席から聞いたらうまくいっているかな」という所に合わせる感じでしょうか。

荒川: 自分がその場で耳で捉えているものが、どれくらい本当にそのままなのか、みたいなことです。音量のこともそうだし、ホールって時差があるので、指揮を見たり、自分の耳で聞いてジャストだと思っても、実際はそれが遅れて聞こえたりします。なので「ちょっと早めに出なきゃいけないんだ」とか、「早めにやったつもりだけど、これでジャストだな」とか、そういうのを確認するという感じです。

秋山: 時差がある、というのはすごいですね。そうやって本番を重ねるごとに、客席に届く音としてジャストなものを調整していくということですね。

荒川: そうですね。ホールの数ってそんなに多くないので、「このホールはすごくディレイ(遅延)する」とか、そういうこともやっていくうちに覚えていきます。
それで最近すごく困っているのが、配信も一緒にやる場合です。配信の場合は手元にマイクが来てしまうから、そこで(音のタイミングが)ジャストなんですよね。だから、ホールの響きに合わせて少し早めに出るというのをやっちゃうと、そのまま早く聞こえてしまう。無観客だったら良いんですけど、観客がいる場合にはホールで聴かせることにも合わせなきゃいけないし、でもそれをやりすぎると配信で歪になるし… というので、たぶんオーケストラの人は最近けっこう悩んでいるんじゃないかなと思います。

秋山: コロナ禍ならではの悩みですね。髙位さんはいかがですか。

髙位: フィードバックに関しては、音色は実はそんなに気にしていないんです。生の楽器の方々に比べて、電子キーボードだからどうにもできないことが多々あるので。荒川さんと同じように録音したり外で聞いてもらったりして、PA(音響)さんに指示をします。
私は歌を支える立場なので、歌いやすいように聞こえているか、ライブとしてテンションを保てているか、観ている人が飽きないか、とか…。完成された音楽を忠実に再現するというよりは、テンションを持っていってその場で作るステージが多いので、そういう所を意識しています。

秋山: なるほど。本番や練習でピアノを演奏している時には、どこに意識が向いていますか? 身体の内観なのか、楽器との接地面なのか、それとも全然違うことを考えているのか…。

髙位: 接地面ではないですね。うーん… 聞いている耳と、あとは「こうしたい」みたいなことが結構和音に現れたりして、押さえる音がそれによって違ってくるので…

秋山: 会場のテンション、とかですか?

髙位: 会場を見渡しすぎちゃうと逆に入り込めないから、ある程度自分の演奏に集中はするんですけど。だから、感覚的に広く見渡してはいないかもしれないです。奏者同士の間に意識を向けています。

感覚器としての身体

安藤: お二人の話でわりと共通している部分として、身体は基本的にセンサーとして使っているなという印象がありました。荒川さんはリードとの関係を吹きながら探っていく、というようなことをおっしゃっていましたし、髙位さんも場の関係の中で、相手がどういう状態にあるかを聞く・見る、そういうことに身体を使っている。感覚器としての身体という部分が共通しているなと思いました。
あとは左右が対称・非対称であることに対して、ピアノの場合は明確に右手と左手の役割が異なりますが、オーボエの場合はどうなんでしょうか。オーボエは真ん中に1本で構えますが、やはり右手と左手の役割が違うので、左右を入れ替えたら成り立たないですよね。

荒川: そうですね。オーボエの場合は楽器を支えているのが右手なんです。「左手は添えるだけ」みたいな感じで、楽器を支えながら指を動かさなきゃいけない分、やっぱり右手の負担の方が圧倒的に大きいです。大体の人は右利きなので右手の方が動きやすいんですけど、動きやすいからこそ負担が来てしまうので、そこをケアしてあげないといけない、というのは意識しています。整体に行くと「右側だけすごく凝っている」とよく言われます。

安藤: そういう時に、例えば「左手だけ筋トレをする」みたいなことはありますか。

荒川: 筋トレではないですが、「トリル」という指を速く動かす技があって、やっぱり左手の方が動きにくいんです。普段から鉛筆などを持って、指を1本ずつ独立させて動かすトレーニングを暇さえあればやっているんですけれど、左手の方が動きにくいので、意識的にやるようにしています。

楽器別・本番前のウォーミングアップの違い

白井: 荒川さんのお話の中で、フルートなどの管に直接息を吹き込む楽器と違って、「身体が整ってさえいればOKというわけではない」というのが気になりました。リードってそんなに大きい存在なのか、と。
例えばオーケストラで本番直前の待機時間に、オーボエ奏者がリードを調整している時、他の楽器の人は身体のストレッチをやっているとか、肩を回しているとか、本番前のウォーミングアップに楽器による特色があったりしますか?

荒川: たぶん管楽器の人は、実際に音を出すマウスピースやリードの調子を確認する作業が本番直前のメインになってくる感じですね。それより前に個人的にストレッチをしている人はもちろんいますが、10分前とか5分前は、自分の楽器と発音体(マウスピース、リード)を意識している人が多いです。
一方、弦楽器の人たちはあんまりウォーミングアップをしないんです。というのも、弾きすぎちゃうと松ヤニが取れたり、弓の毛に負担がかかったりするので。どっちかというと本番で身体がしっかりほぐれた状態でパフォーマンスができるように、直前にストレッチをしたり、リラックスした状態を作ることを意識している人が多い印象です。

白井: やっぱり「調子を確認する」というニュアンスが強いんですね。そこはダンサーと違うのかな、どうなんだろう…。ダンサーは調子を確認するというのもあるけれど、「とにかく高める」みたいな方向が強いのかもしれません。

荒川: たぶん髙位さんのようなピアノの方は直前のウォーミングアップがあまり無いので、ダンサーに近いんじゃないかと思うのですが、いかがですか。

髙位: ピアノだと、楽屋にいる状態でピアノを触ることは出来ない場合が多いです。だからとにかく指を冷えないようにするくらいで、あとはもう高める、音楽を思い出してイメトレしておく、という感じですね。

さまざまな「本番」のモード

白井: 本番に向かう身体のモードというのが、お二人で全然違うのかなと思いました。髙位さんは「戦闘モード」とおっしゃっていたように、たぶんドーパミンやアドレナリンが出て興奮状態で臨むような感じかなと。荒川さんの方は脱力を重要視されているという話があったので、もちろん「本番、行くぞ!」というモードもあると思うんですが、リラックスも重視されているのかなと思いました。やっている音楽ジャンルによる違いもありそうです。
ダンサーにも、本番で別人のようになる人と、日常の感じで舞台に出て行く人がいますよね。

荒川: オーケストラは自分1人でやっていない、というのも結構大きいと思います。全体の中の個なので、個が主張する以上に細胞の一つというか。「全体で良くなるように」という感じなので、あまり1人だけテンションが高い状態では、おかしなことになってしまいます。
例えば自分のソロリサイタルの時には、テンションを上げるようにしたり、没入できるようにイメトレを重視するようにしています。「本番」の形態によってルーティンも違うのかなと思いました。

秋山: 髙位さんはいかがでしょうか。オーケストラと比べると観客の人数が少ない、30~50人規模の会場で演奏されることが多いかと思います。先ほどから話されている「戦闘モード」について、少し詳しくお聞かせいただけますか?

髙位: 耳でいろいろキャッチできるように、テンションをあげておきたくて。いつもの私はどちらかというと脱力はできている、むしろ常に脱力状態なので、本番ではちょっと前のめりにならなきゃいけないんです。そのために、曲を聞いてリズムに乗っておいたり、歌ってみたり、ストレッチをしたり、あとは一緒に出る人の顔を見て「どんな表情をしているのか」「どんなテンションで喋る人なのか」を見ておいたりします。「戦闘モード」というのは、営業モードみたいな、とにかく外に働きかけられる身体のモードという感じです。

荒川: 髙位さんの話を聞いていて思ったのは、オーケストラというのはまず曲があって、それを再現するというものなので、できるだけ忠実に、というか練習通りにやる。そこから本番でプラスになるものもありますが、基本はそういうものだと思うんです。だけど髙位さんはたぶん、当日の共演者の感じとか、今日のノリとか、そういうのをキャッチするためにやっぱりONモードというか、アドレナリンやドーパミンが出る感じのモードじゃないと出来ないのかなと思いました。

髙位: その通りです。

本番までのプロセスによる違い

白井: 「事前に作って準備していくこと」と「本番」との割合や役割が、ダンサーと、荒川さんのようなオーケストラの仕事と、髙位さんのような音楽のお仕事で、全然違っているような気がします。ダンスとか演劇の場合は2ヶ月とか3ヶ月のあいだ「稽古場」という本番の会場とは別の場所に集まって、みんなで何かを作っていく作業があってから、本番を違う場所でやる、みたいな感じが多いんです。オーケストラはそうではなさそうですね。髙位さんのような音楽のライブも、1人で準備する段階・共演者と一緒にやるリハーサル・本番とで、また違った流れになっていて、それによるモードの違いがありそうだと思いました。

秋山: 確かにそうですよね。荒川さんの場合は、事前に各自で準備をしておいて、本番前に全体で合わせるリハーサルは数回だけ、という感じですか?

荒川: そうですね。オーケストラの場合、例えば本番が1日あるとしたら、練習は多くて2回ぐらいなんです。なので、個人個人が事前にちゃんと曲のことを勉強していれば、まぁリハーサル1回や2回でなんとかなるんですけど、そうじゃないとただ迷惑をかけるだけになってしまいます。例えば簡単なことでいうと「ここの部分はトランペットが出てきた後に(オーボエが)入る」とか、 そういうことが頭に入っていたり、楽譜に書いておく。それを「ガイド」と言うんですけど、事前にそういうことを勉強しておくのが大事です。
学生やアマチュアのオーケストラであれば、1年間かけて曲を練習することもあります。吹奏楽コンクールなんかもそうですね。そういう場合は最初から勉強していなくても、みんなで積み重ねていけばいいのですが、プロの場合、うちのオーケストラだと年間400公演以上を2つに分かれてやっているので、3日に1回くらいは本番という感じなんです。それをこなすためにも、次から次へと準備、準備…、という風にやっていかなきゃいけないです。
たぶん髙位さんは違うかなぁと思います。

髙位: 全然違いますね。きちんと準備している方は本当に尊敬するんですけれど、私の場合は、ステージ上で「あの曲、できる?」と言われて、初めてそこで合わせたりします。フリースタイルで、みんなが知っているような曲を適当に弾く能力が求められています。
この前、名古屋でライブをした時は、その日の朝に現地入りして、一緒にやる十何曲かのうちの必要な曲だけを1~2時間で初めて合わせて、すぐに本番、という感じでした。

荒川: それが出来るのはたぶん作曲家だからだと思うので、すごい強みですよね。いわゆるクラシックのピアニストは、(曲を)勉強して、弾いて…、というのがメインなので、やっている仕事の内容が全然違うなぁと思いました。

髙位: そうなんです。それをやりたいから、クラシックピアノをやめました。

荒川: うらやましいです。僕もそれをやりたいけど、やっぱりコードとか、なかなかパッと出てこない。その場で出来て、しかもそこにちょっとオシャレなコードを入れたりもできて、「いいなぁ」と思います。その「いいなぁ」と思う時にアドレナリンが出たりはするんですけど、そういう偶発性というか、本番で出てくるものの面白さというのは、やっぱりクラシックはちょっと少ない。そういう領域においては、使っている脳の部分が全然違うんだろうなと思います。

白井: 髙位さんのお話をお伺いして「そりゃ戦闘モードじゃないと出来ないことだな」と、すごく納得がいきました。同じ「本番」でも全然種類が違うんですね。

秋山: 面白いですね。ダンスはたぶん、両方あるんです。クラシック・バレエは固定の振り付けがあって、それを日々練習して、披露する。だから公演数が多くても平気ですが、みんなで隊列を作って踊るようなことがあるから、リハーサル数としてはオーケストラよりは多い気がします。
逆にコンテンポラリーダンサーは、即興のシーンがあったりして、頭の使い方が全然違うなと思います。また、みんなでクリエーションしていく過程がパフォーミングアーツは特異的ですよね。練習だけをするというよりは、そこでできた関係性がそのまま舞台に乗るので、創る所から一緒にやらないとわからない所があります。

リズムの捉え方、身体・言語との関係

安藤: お二人に質問です。リズムというものを、どのように捉えていますか。
音符というのは1個1個がその形によって長さが決まっているわけで、それに合わせてメトロノームみたいにピチッと決まっていくリズムというのがあると思うんですけど、一方で、人間が実際に身体を動かすとか、あるいは波が向こうに行って戻ってくるとか、朝起きて寝るとか、ピチッと決まっていないタイプのリズムもあるじゃないですか。大まかな流れというか。
たぶんクラシックとフリースタイルの違いもあり、髙位さんはあんまり音符的ではない大まかな流れのリズムを捉えていて、荒川さんはやっぱり楽譜に従ってピチッと決めているんだろうな、っていうのを最初はイメージしながら話を聞いていたんですけど、実際のところを伺ってみたいです。

荒川: それって実は、身体の使い方の話とつながっています。というのも、最近オーケストラで流行っている4スタンス理論というのがありまして。身体の使い方を A1・A2・B1・B2 の4つに分ける理論なんですけど、それによってリズムの感じ方が違うんじゃないか、というのが音楽家の間でいま話題になっています。
オーケストラの中で詳しい人が言うには、作曲家にもそれぞれタイプがあるから、「作曲家が曲を作った時にどういうリズム感で作曲しているか」というのが結構スタンスのタイプによって違うんじゃないか、それがわかると、その作曲家が求めていたリズムがどっち寄りか というのがわかってくるんじゃないか、という話をしています。なので個人的に感じるリズムというのが、実は身体の規定によって決まっているのではないか、ということを最近は感じ始めています。
わかりやすい例で言うと、付点のリズムがありますよね、「パンッパパン、パンッパパン」というような。そういうリズムの時に、付点をどれくらい詰めるか というのが人によって違うんです。リズムの感じ方や身体の使い方のタイプが似ている人同士が集まると、お互い「わかる」「そうだよね」という感じになるし、逆にオーケストラのような大きい合奏になると、タイプが違う人達がいた方が、深みが出て面白い。全員同じようなタイプだと、揃いすぎていて、あまり美しくなかったりします。

秋山: 面白いですね! 安藤くん、4スタンス理論については何か知っていますか?

安藤: 概要だけですが…、体重の掛け方を 内側・外側、つま先側・かかと側というので分けると、例えば「つま先側・外側」に体重をかける人と、「かかと側・内側」に体重をかける人がいて、それぞれに特性があり、それに合わせて指導や練習をしていった方が良い、という理論ですね。スポーツトレーニングなどで聞いたことがありますが、音楽家の中でそれが流行っているというのは面白いなと思いました。

髙位: 音符の捉え方に関連して、ピアノって指で弾いていると思われがちなんですけど、特に私は、指では弾いていいないんです。身体の重心で弾いている。もちろん付点の練習も昔やったりして、基本的な理論は身につけていますが、その上で国ごとにグルーヴが違ったりするので、曲を聴いて感じたグルーヴを身体に乗せていく、みたいな感じです。

白井: 例えば身体の違いによって、どうしても出来ないリズムってあるんでしょうか。さすがにプロの方は滅多にないだろうけど、吹奏楽をやっていた自分の経験では、「真面目な日本の吹奏楽団、ジャズがド下手問題」が、中学でも高校でも大学でもありました。なんだかドッチャドッチャしてしまって、上手くスイングができない。それは集団の話でしたが、個人でも例えば、裏打ちのリズムがスムーズにできる人と、なぜか裏打ちだけは苦手な人がいたのを思い出しました。リズムってめちゃくちゃ身体的だなぁ、と。

荒川: 「ジャズがド下手問題」は、日本語が原因だと思うんですよね。アクセントがあまり必要のない言語の中で私たちは生きているので。日本の昔の民謡などを聞くとわかるのですが、アクセントがあんまり無いんですよね。ずっと同じような所で(メロディが)揺らいでいて、それが美しい。例えば『浜辺の歌』などがそうです。
ヨーロッパの言語や英語は絶対にアクセントがある言語なので、緩急が喋り言葉の中にすごく含まれています。リズムを取る時にもアクセントがあって、それ以外の音が軽くなるというのが、身体に染み付いている。感覚に入っているんです。
その感覚があまり身体に入っていない人がそのリズムを再現しようとした時に、何かちぐはぐな物になってくる。そこは本当に言語と密接に結びついているのではないかと思っています。
例えばダンスを自分でやってみたりすると、そのステップを捉える中での1拍目の重さとか、「そうじゃないと踊れない」ということがわかってきて、リズムの捉え方も変わってくるような気がします。

秋山: ダンスでも、盆踊りのような1カウント目にアクセントが来るような踊り方には、日本語が影響していますよね。そういう点でも音楽とダンスは近いところにあるんだなと思います。

歌にとってのリズム

後半からは、髙位さんと楽曲制作をしているシンガーソングライター・俳優の佐藤玖美さんと、井戸端メンバーの有泉がトークに加わりました。

佐藤: よろしくお願いします。髙位さんとは9年ぐらい一緒に曲作りをしています。俳優が30%、歌手が70%くらいの割合で活動しています。

佐藤玖美さんと髙位妃楊子さんによる楽曲

秋山: 佐藤さんは、本番への向かい方ってどういう感じなんですか?

佐藤: 私はあんまりスイッチの ON/OFF をはっきりしないようにしています。ずっと同じペース、楽屋で喋っているペースのままで本番に臨むことが多いです。ナチュラルな自分でいる方がパフォーマンスが上がる気がするので、私はそういう風にしています。

秋山: それは、俳優の時と歌手の時とで、同じなんでしょうか。

佐藤: そうですね… 俳優の方が切り替えが無いように思います。歌手の時はすごく自分が主体になるので、そういう意味では俳優の時よりもちょっとスイッチを入れるのかなぁと。

秋山: そのあたりの加減は人にもよりそうですね。さて、前半の最後は、リズムと身体の話あたりから濃い話が続いていました。

荒川: リズムに関しては、実は僕、小学校の頃に吹奏楽で打楽器(パーカッション)をやっていたんです。パーカッションって、本当に身体で音楽を捉えている、身体がそのまま音になるというタイプの楽器なので、たぶんその経験があるのと無いのとでは、捉えているリズムの形がまた少し違うような気がします。
歌にとってのリズムというのは、言葉と一緒になっているものなので、言葉によってリズムが規定されるというのが大きいと思います。オペラ等をやっていると特にそうですが、前置詞によってアウフタクト(弱起)が決まってきたりします。

秋山: アウフタクトってどういうものですか?

荒川: 1拍目ではなく、例えば3・4拍目から始まる形です。さっき盆踊りの話もありましたが、日本人って例えば『炭坑節』(♪月が~ 出た出~た~)のように、曲の手拍子も裏拍ではなく「1」で取るんですよね。だからアウフタクトの曲が生まれにくいのですが、『浜辺の歌』はアウフタクトで始まるのでリズムが取りにくく、小さい子が歌うのは難しかったりします。
歌をずっとやっている人って、言葉によってリズムが規定されていることを、当たり前すぎてもはやあまり意識していないと思うんですよね。だけど器楽の人からすると、歌の楽譜を見た時にそのフレーズがどういう風に続いていくのかが、パッと見ただけでは想像できなかったりします。そのあたり、歌の方々がどういう風にリズムを捉えているのかを聞いてみたいです。

佐藤: 自分が何の考えも無しに歌っているものに対して、「何でそんな風に歌えるの?」とか、「そこは絶対そういう風には入れない」とか、曲作りをする時にそういった指摘を受けることが多いです。わりと感覚的にやってしまっているなぁということに、最近気づきました。

荒川: 感覚で出来る、というのがすごいですよね。それだけ歌に向いているということかもしれません。

安藤: 母語で歌っている、というのが大きい気がします。歌っている言語は基本的に日本語ですよね。日本語の言葉のリズムは小さい頃から第一言語として覚えているものなので、それが例えば英語・ドイツ語・イタリア語で歌うとなったら、その言語ごとにそれこそアウフタクトとか、そういった部分を改めて勉強しないと歌いにくいのかなと思いました。

歌手から学ぶ身体の使い方

荒川: 歌の人って、例えば喉の調子が大きく影響してくると思うんですけど、たぶん喉だけじゃないですよね。喉で歌っているように思っていても、実は肩周りの筋肉が凝り固まっていると喉に影響が出てくるとか、そういうことがきっとあるような気がするんです。歌の人って例えば「自分の身体の調子がいつもよりちょっと整っていない」「力が入っている」と感じた時に、どう対処して本番で臨んでいますか?

佐藤: おっしゃる通りで、歌の調子が悪い時はだいたい肩甲骨の周りの筋肉が硬くなっていることが多いので、鎖骨の窪みに指を入れて、隙間を作ったりします。また、胸郭の部分にグッと息を入れるので、そこの容量を大きくするために肩の筋肉をとにかくほぐします。それと、腕の付け根のゴリっとした部分を柔らかくすると、さらに呼吸が360度に入りやすくなるんです。なので、そこの筋肉をいろんな道具でほぐします。

荒川: オーボエは楽器を前に構えるので、肩が内側に入ってくることが多いです。なので意識的に開くんですけど、肩を開こうとすると今度は腰が反ったりして、お腹の支えがうまくいかなくなったり… そういうことを日々感じながらやっていますが、それこそあまり考えなくても出来る時というのが、身体のバランスが良い時なのかなと思います。
それで僕は最近、水泳をやっています。平泳ぎをすると肩の周りが勝手にほぐれるので、整体に通わなくても済むようになってきました。
歌の人は身体が音に直結しているけど、管楽器なども本当はそうであるはずなのに、道具に頼るというか楽器とかリードのせいにしがちです。実はそれよりも身体の使い方を改善すれば解決することもあると思うので、歌の人から勉強するようにしています。

秋山: オーケストラで活動していると、歌の人があまり近くにいらっしゃらないのかと思っていました。

荒川: うちのオーケストラは特にオペラをたくさんやっているので、歌と演奏する機会が多いんです。歌の人を見ていると身体をほぐすルーティンを結構やっていて、リハ中でも手を後ろで組んで肩を開きながら声出しをしたりしているので、それを見て「自分でもカラオケでやってみようかな」と思ったりしています。

髙位: 私はゴスペルの講師をやっていて、自分が歌うわけではないんですが、歌う身体を作ることを研究している先生が周りにたくさんいます。みんなで歌い始める前に必ずストレッチをしますが、腹式呼吸をするために、お腹がしっかりしているけれどそれ以外は脱力している状態になるように、肩を広くして息がいっぱい入るようにしたり、歌う前にみんなで「ビートレ」といってビートに乗るトレーニングをしたり、軽く踊ったりもしています。

音楽教育の中で身体の使い方を学ぶ機会はあるか

白井: 同じ歌の中でも、ジャンルによって身体の使い方が異なってきそうですね。そういうことを、音楽教育の中で指導される機会ってあるんですか? それとも皆さん自己流で習得していくのでしょうか。例えば歌う前に肩の周りをほぐすことや、「こういうジャンルの人はこういう身体を作った方がいい、ここを筋トレしたほうがいい」とか、そういうことを教わったことはありますか?

佐藤: 私はたまたま運が良く、自分のオペラの先生が身体にフォーカスしている方でした。ピラティスをやってみたり、自分なりの身体の動かし方を研究されている先生だったので、運良く歌と一緒に教えてもらえました。だけど体感としては、ほとんどのオペラの先生たちはわりと元々歌えている方が多いので、身体の使い方を教えられる人はすごく少ないなと思います。それはポップスでもそうですね。

白井: なるほど。でもやっぱり音楽をやっている中で、ピラティスや身体の研究をしてみようと思う方もいらっしゃいますよね。荒川さんが水泳をされていたり、オーケストラの中で身体理論が流行っているのも、そういうことかなと思います。荒川さんは身体のことを誰かから指導されたり、逆に指導をすることはありますか?

荒川: 僕はドイツに2年間留学していたんですけど、留学をする前に来日していた先生のレッスンを見て「この先生に習おう」と思う決め手になったのが、レッスンで身体の使い方についてたくさんレクチャーしていたことでした。僕は当時、楽器のことや楽譜のことは大学4年間の積み重ねである程度は出来てきている実感はあったんですが、それが自分が思っているように楽器に乗らないというか、形として実現されていないということに課題を感じていました。結局それは身体の使い方だよな、という所までは思い当たっていたんですけど、それをどんな人についてどういう風に教わればいいのか、というのがわからなくて。
どうしよう… と思っていた時にその先生に出会いました。そして留学してからわかったんですけど、先生も毎朝ヨガをやっていて、自分の身体を整えることをルーティンにしている方だったんです。また、その先生はオーボエの人なんですけど声楽のレッスンにも通っていて、声楽の人がどういう身体の使い方をしているかを実際に勉強してました。
僕も元々すごく歌が好きで興味があったから、バッチリはまって面白いレッスンだったんですけど、悪い意味ではなく楽器のことにしか興味がない、楽器をメインでやりたい人は、たぶん「ずっと歌や身体のことをやっていて、何だろう?」と思うのかもしれません。
僕の場合は身体の使い方に興味を持って学んだことで実際に様々な問題が解決したと思っているので、還元できる所はお弟子さん達にも伝えています。が、彼らが元から身体の使い方を上手く出来ている場合はあまり必要ないレクチャーだったりもするので、相手を見ながら、という感じですね。

白井: ちょうど身体のことで困っていた時にそういう先生と出会ったというのは、素晴らしいですね。でも、音楽をやっていれば必ず身体のことも教わるという仕組みにはなっていない、ということでしょうか。

荒川: そうですね。身体のことに興味がある先生とない先生が、結構大きく分かれている気がします。音大でもそんな感じです。

白井: 身体のことに興味がない方や必要性を感じていない方というのは、どうして興味を感じないでいられるんだろう…と逆に不思議に思ったりもするんですけど、そういう人ってどういう人ですか?

荒川: ものすごく鈍感な人か、もしくは最初から恵まれているか、どっちかのパターンですね。鈍感は鈍感で、良いことだと思うんです。不調の時もあまりわからないまま、スランプに陥ることもなくやっていけるので。考えすぎちゃう人は、そこでドツボに嵌まる気がします。

安藤: たぶん、さっき佐藤さんが「感覚です」と言ったようなあり方でそのまま出来ちゃうような人、「この音を出そう」と思えば出る、「こういう風にしよう」と思えば出来る、という人ではないでしょうか。そういう人は、自分の中での説明のされ方が違うのかもしれないです。「身体の使い方が違うから出来ない」のではなく、「ド って書いてあるんだからドの音を出したらいいじゃん」みたいな…。

荒川: そうですね。それに、指導法もやっぱり関係がある気がしています。指導法というか、身体の使い方なども含めて自分とタイプが合っている先生だと、「こういう時はこうなるよね」と言って先生がやっているのを見て、「そうか」となる。タイプが同じだと、簡単なんですよね。
だけどそれが例えば、みんなにザッツ(合図)を出す時に、楽器を上から下に振るタイプの人と、下から狙うタイプの人がいるんです。フォルテ(強音)に持っていく時の動きにも、上からの人と、下からの人とで、タイプがある。そういうことを、自分が下から方がやりやすいのに、先生が上からやっている動きだけを見て真似すると、上手くいかなかったり悩んだりします。タイプが合っている先生だと最初の「見て真似をする」段階で、見たままやってどんどん上手くなる場合もあるんですが。先生との相性によって伸び悩む、逆にすぐ伸びる、ということもある気がします。

白井: 期せずして 前回の「“上手くなる” 思考法」と同じ話になってきましたね。指導法については、ダンサーでも「背骨がこうなってるから、もっとこうして」と具体的に言われた方が良い人と、抽象的に「天井から頭の先を糸で吊られているように」と言われた方が入ってくる人がいるよね、という話が出ていました。自分に合う先生と巡り会うことに加えて、合っていない時に「何かおかしいな」と思って、自分に合う先生を探しに行くのも大事なんですね。

荒川: あとは、自分がどういう方法で受け取るとわかりやすいか、自分のタイプを把握しておくのも大事だと思っています。例えば先生が言語化するのが不得意な人で、言語で言われた方が理解しやすい人がそういう先生のレッスンに当たった場合には、自分で言語に変換してからの方がわかりやすかったりします。
僕はすごく方向音痴なんですけど、地図や方角で出されても全然わからないんです。「出口を出て、右手にファミリーマートが見えて…、」と文章で書かれているほうが圧倒的にわかりやすいんですが、地図を読める人からすると「なんで?地図を見ればわかるじゃん」と言われてしまう。そうじゃなくて、僕は言葉にした方がわかりやすいから、そうしてください(とお願いする)とか、あるいはそれがわかるような人を探しに行く、そういうこともレッスンを受ける上では大事かなと思います。

楽器がもたらす身体の特徴、どちら側から見られるか

有泉: 単なる興味本位の質問になってしまいますが、楽器の特性に身体がどんどん特化していくんじゃないかという気がしています。例えばバイオリンだったら、ずっと左側で弾くから身体がそっち向きの身体になるのかなとか、ピアノの人は「右手がメロディで左手がベースで」とおっしゃっていましたが、その感覚が日常の中にも影響することってあったりするんでしょうか。その楽器をやっているからこその身体の癖、例えば楽団内で身体を見て「あの人はあの楽器をやっていそう」ってわかったりすることはありますか?

荒川: 見た目でわかる人もいます。身体的な特徴として、バイオリンの人は左の首元に楽器を挟むので、そこにアザがあり、一発でわかります。他は、そうですね… 見てわかる感じはあんまり無いかなと思います。
とはいえ身体に影響が出てくるものではあるので、弦楽器(特にバイオリン)では左耳だけ難聴になったり、ピッコロは右に構えるので右耳だけ難聴になる人が多いです。オーボエに関しては、真ん中で楽器を構えるのでどちらかに寄るということは無いんですけど、歯並びや骨格の影響によって、僕の場合はすこし右に寄りやすいので、意図的に真ん中に戻すように意識しています。また、オーケストラの中でオーボエは真ん中の少し上手寄りにいるので、合図を出す時に右を見ることが多いんです。なので自然と身体の向きが右に向いていることが多いなとは思います。管楽器的にはそんな感じです。

髙位: ピアノの場合は、身体的に見てわかるということはたぶん無いと思います。高校の時にやっていたパーカッションでは、基礎練習をやる時に右手と左手のどちらかが必ず1拍目になるじゃないですか。強拍(1拍目)を叩く時に、私は左手のほうがやりやすかったんです。ティンパニを叩く時も必ず左からで、アクセントが左だったんですけど、それってピアノをやっているからかなと思いました。左がベースであり軸になるから、左半身の方が安定しているのかもしれないです。
あとは、グランドピアノってステージに乗せると上手側を向くので、必ず弾く人の右側の姿が見られるじゃないですか。私、個人的に右側が自信無くて、左から見た顔の方が「自信があるように見える」ってよく言われるんですよ(笑)。だから、既に置いてあるピアノは仕方ないんですけれど、ガッツを入れたいステージの時は、なるべく下手側向きにピアノを置くようにしています。

白井: ということは、ピアノをやっている方って、前髪を左で分けている人が多い… とか?

髙位: ありそうですね(笑)ドレスのデザインも関係しそうですよね。

荒川: そもそも女性って、右から見られる/左から見られる ということを意識している人が多いんだなと最近知りました。僕がYouTubeをやっている団体の他3人が全員女性で、彼らと写真を撮る時に必ず立ち位置が決まっているので「へぇ~」と思ったんですけど、それってダンスをやっている方も結構意識しているんですか?

白井: いや、そうも言ってられないというのが、ダンスには結構あると思います。「写真を撮られる時はこっち向きがいい」というのがある人もいるとは思いますが、基本的には踊っているとどんな向きにもなるので。それどころか、とんでもない角度から見られることも全然気にしなくなっていますね、特にコンテンポラリーダンスの人は…。有泉さん、どうですか。

有泉: 立ち位置などに関しては、「作品の中でどういう動きか」、本当にそれだけなので仕方ないというか、どうにもできないというのはありますね。クラシック・バレエ出身の人だと、本番では左足が軸になる動きが多いので、動きのやりやすい側はそれぞれにあるのかなと思います。

場所と演奏の関係

白井: 先ほどからホールの広さなどの話は出ていますが、場所との相性って、音響的な要素以外に何か要因はあるのでしょうか。佐藤さんは「こういう場所だと歌いやすい」とか、ありますか?

佐藤: クラシック用のコンサートホールで歌った経験があるんですけど、そういう所でポップスを歌うのはすごく苦労します。響き方が本当に全然違うので、後ろの人まで届かせようと思うとすごく音が分散してしまって、芯のない声に聞こえてしまったり…。ポップスはクラシックの会場で歌うもんじゃないな、ってよく思います。

白井: 確かに。場所と音楽のジャンルって、すごく密接に関係していますもんね。

有泉: お客さんの数やお客さんとの距離によって、弾き方や歌い方は変わったりするんですか?

佐藤: そうですね、絶対に変わってくると思います。お芝居と歌ですごく共通する部分だなと思うのが、お芝居の時に モノローグ(独白)・ダイアローグ(対話)というのがあって、「自分の内省を喋っているのか・目の前の相手に喋っているのか・大観衆に向けて喋っているのか」という認識を変えて1つのセリフを訓練することがありました。それが歌の場合になると、10人の会場だったら「インナー・モノローグ」といって、独り言みたいな感覚で歌う方が届きやすかったり、それが1000人の会場になったら「大観衆」という認識で歌うと 1人1人によく届くようになる、とか、そういう差はあると思います。

髙位: グランドピアノはだいぶ大きい楽器なので、人数が少ない場所でやる時に全身で音を出してしまうと、うるさいんですよね。びっくりしちゃう。なのでそこはかなり気をつけながらやっています。本当に目の前にお客さんがいるような場合もあって、それは生ピアノだからこそ難しかったです。

荒川: 今のお話を聞いていて、音の指向性の話だと思いました。「どこにポイントを持っていくとどういう音がするのか」というのは、結構みんな意識しているんだなと。
オーケストラの場合はやっぱり基本的にコンサートホールなので、ホールの一番後ろに届くように演奏することが多いです。あとは生徒をレッスンしていて感じるのが、防音のレッスン室はすごく狭いので、そこで吹いてもらうと、音の到達点・目標点がとても近くに設定されてしまうんですよね。オーボエという楽器は、到達点を近くに設定すると実は吹きづらくて、息の流れが止まっちゃうんです。なので「ここの練習室は狭いけど、もうちょっと大きいホールでやってると思って吹いてごらん」と言うと、途端に音が良くなります。そういう音の指向性みたいなものは、実際に身体の使い方にも影響が出てくると思います。

有泉: オーケストラみたいな大きい編成で吹く時と、四重奏のような小編成で吹く時とでは、息の加減は違ってくるんですか?

荒川: 全然違いますね。あとはオーボエって良くも悪くも、音が通りやすい楽器なんです。なのでオーケストラの中でソロで吹く時は、わりとポーンと音が抜けてくるんですが、小さい編成でフルートやクラリネットと一緒に演奏する時には、自分の体感よりもかなり小さく吹いてちょうど良いバランスになることが多いなと思います。あとは音量を絞ることが難しい楽器でもあるので、その辺りがアンサンブルでやっている時に難しいと感じます。

白井: 前半の話にもありましたが、荒川さんの場合、完成形もしくはフィードバックが自分の体感から離れた場所にある場合が多いというのが特徴的だなと思います。
狭い所や観客が少ない会場での身体のあり方と、広いホールでの身体のあり方って、当然ダンスでも違いはあるんですけど、「オーラを出す」とか「とにかく空間を意識する」とか、すごく抽象的な言葉でしか今のところ言い表されていなくて、各自で対処しているような領域のことなんです。その点、音楽はかなり「音を届ける」という目標がハッキリしていますよね。

荒川: たぶん音楽家の人って、すごく空間を把握していると思うんです。というのも、空間を鳴らすことによって演奏が成り立っているので。ホールの残響であったり、全体の大きさに対してどういう風に鳴らすのか、音楽家は結構普段から意識しているところかなと思います。逆に言うと、自分がいる舞台上だけで空間を意識してしまっている人が音大に入りたての人やアマチュアの方には多いんですが、そうなっていると「残響が聞けていないな」とか「空間を把握しきれていないな」というのは、結構すぐわかります。

白井: 具体的なテクニックですよね。残響を計算して、そこにアジャストする。「この広さならこうだな」と見当をつけたり、フィードバックを受けて調整するというのは、感覚だけではやりきれないことなのではと、お話を聞いていて思いました。そこがプロの仕事の一部分ということですね。

演奏する空間と、身体のモード

髙位: 「BGMを弾く」というお仕事があるんですけど、そういう時って演奏用の「戦闘モード」とは違うんです。BGMはそこで過ごしている人々を侵害しないように、当たり障りのないような音量の中で、耳に障らないように美しく弾くことを求められていて、すごく気を使います。その時にあんまり外を意識してしまうと、良い音が出せません。即興で弾くことも多いので、戦闘モードとは逆の、創作モードのリラックスした状態で弾くことが多いです。

白井: なるほど。空間に溶け込ませるけれど、外の人の話し声を聞いていたら出来なくて、逆に「こっちはこっちでやってます」みたいな感じなんですね。 荒川さんも「溶け込む演奏」を意識することはありますか?

荒川: あります。ちゃんと音楽に参加できていない時というのはだいたい、自分の音しか聞こえていない時なんですよね。自分の演奏や自分の音に耳が行っている時って、他の音が聞けてないからそうなっていることがあり、そうすると音楽としてチグハグなものが出てくるなと思います。だから自分の音を聞いている耳と、それ以外の音を聞いている耳、双方を一緒に使っているような聞き方をしています。
カフェにいる時とかでもそうだと思うんですけど、自分たちの会話に集中している時には周りの音があまり聞こえないけど、逆に1人で勉強している時はやたら周りの人の会話が入ってきちゃったりしますよね。それって耳の使い方、聞き方の違いのような気がしていて、音楽をやっている場合はそれを意識的に切り替えられるようにすることが大事かなと思います。

白井: 「自分が今どういうモードにあるか」に敏感になって、さらにそれを切り替えられるようにすることが必要なんですね。

安藤: 空間の話に関連して、以前、アダム・ベンジャミンさんというイギリスのダンサーの方とお話しする機会がありました。武術(八卦掌と太極拳)をやっていた人なんですけれど、その人に武術とダンスの関係を聞いてみました。すると、「武術がダンスに役立つ。空間を活き活きとさせるのに、武術が役立つんだ」「死んでいるような空間を、活き活きとさせるのがダンスなんだ」と。
その時は2人で道を歩いていました。「僕も武術をやっているんです」という話の中で、「いま戦ったら僕と君のどっちが有利だと思う?」って聞かれて、「いまはアダムさんですね、太陽を背にしているから」と答えたら、「そういう感性が非常にダンスに役立つんだ。空間のどこにいて、いま自分にとってどういう状況なのかというのを把握していることが、非常に役立っている」という話をされたんです。
それに近い話を、音楽の人たちも感じているんじゃないかと思いました。自分が空間のどこにいて、荒川さんだったら「全体の中で自分がどういう要素なのか」というのを感覚すると同時に、周りが見えている。髙位さんだったら、即興の中で自分の内にこもって集中するモードと、バリバリ戦闘モードで外に行くというのを切り替える、ということとか。実はお互いに活かせる部分というか、重なっている部分があるのかもしれません。

荒川: 「空間を活き活きとさせる」という話に関連して、少し前に『マイ・バッハ 不屈のピアニスト』という映画を見ました。バッハをずっと弾いている人の話だったんですが、その中で「演奏というのは空間に形を与えることだ」みたいなセリフがあったんです。それが個人的には印象深くて、やっぱり音は空間に放たれているので、それを認識するというのが音楽家として大事なんだというのが印象に残っていたので、今日の話で改めて、やっぱり空間というのが関係しているんだなと、気持ちを新たにしました。

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この記事を書いた人

振付家、ダンサー。立教大学映像身体学科を2010年に卒業。現在は主に2人組ダンスユニット「アグネス吉井」として活動。街を歩き、外で踊り、短い映像を数多くSNS(@aguyoshi)に投稿している。

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